- 合気道
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日本の古流武術を源流とした格技のひとつ。関節技と当身(あてみ)技の特徴を生かし、
徒手、または武器(短刀、刀、槍(やり)、棒)でせめてくる相手から身をまもり、徒手で制する格技。
立ち技、座り技、前技、後ろ技、徒手対徒手、徒手対武器、1人対多数というように
あらゆる場合を想定した格闘の技があり、多様、多角的で、総合的な点に特徴がある。
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会津藩(福島県)につたわる大東流合気柔術師範だった武田惣角(1860~1943)にまなんだ
植芝盛平(1883~1969)が、大正末から昭和初期にかけて日本古来の各流各派の武術から
その長所をとりいれ、独自の研究をくわえて「合気武術」「合気武道」の名称で指導につとめた。
1944年(昭和19)に「合気道」と改称。
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植芝の高弟で早大教授だった富木謙治(1900~79)が合気道の近代化にとりくみ、
1960年ごろに乱取法を創案した。以来、それまで「形」だけだった合気道は学校体育の教材に
とりいれられ、試合も行われるようになった。
"合気道" Microsoft(R) Encarta(R) 97 Encyclopedia.
我々の所属する日本合気道協会は、「型稽古」の他に「乱取り稽古(合気乱取り法)」が
取り入れられているのが大きな特徴です。
乱取り稽古のみに重点をおいている訳でなく、型と乱取りの両立を目指して稽古に取り組んでいます。
無心無構 現代武道の教育理念として
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富木謙治師範は「無心無構」を現代武道の教育理念として提唱するにあたり次のように記している。
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「無心lとは、一切の喜怒哀楽の感情によって曇ることのない明鏡止水の心を指す。
それは消極的な心を意味するものではなく積極的なはたらきのある心を意味する。
「不動心」「無住心」「空の心」というのも同義であって、仏教ばかりでなく、儒教や神道をも
含めて、また、現代倫理のめざすところ、道徳的「善」
の立場からみて、心の修養における最高の理想である。
武術を競技化して、勝負の場を設定することは、現代的方法として、ここの葛藤を整え、
勝負を超えて「無心」を学ぶための唯一の「場」である。だが、競技化には限定がともない、
ややもすれば、偏技に走って「無構え」の理想を忘れる。「無構え」を学ぶために、正しい
「形」の鍛錬工夫を忘れてはならない。
(「日本武道の独自性」)
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武道は「わざ」を離れて存在しない。今日、武道の「わざ」は正しい「形」と「乱取」の
研究修行によって向上して行く。その理想の極致が、日本の優れた先人たちが悟った
「無心無構」であると、師範は示されたのである。
日本合気道協会マークのいわれ
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起倒流柔術「天ノ巻」に曰く、「起ルハ陽ノ形、倒ルハ陰ノ形ナリ。陽ニシテ勝チ、
陰ニシテ勝ツ。弱ニシテ強ヲ制シ、柔ニシテ剛ヲ制ス」と。
起は火の力、倒は水の力を意味する。太陽はエネルギーの本源であり、水は形なく
無心で環境に随順する。しかも、何ものにも優る強さをもち、万物を育んで高きを求めない。
そこに最高の徳者の強さがある。故に「上善は水の如し」という。
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このマークは、水と火のはたらき、そして無限の空間をあらわす白とによって構成したのである。